にょろにょろブログ

にょろにょろと地をはいつくばりながらえへへと笑っている。ただ思っていることとかを書くだけのブログです

岐路に立つ後輩達と話していて思ったこと

さっき朝ごはんにキウイ食べてたら、力入れすぎてキウイの汁が激しく飛び散って、真っ白なシャツにゴールデンキウイの黄色いシミを作っちゃいましたよ。えへへへ。ばかだね。
ちょうどいい気候で熟睡できたからいい気分だったのにさ!ちぇ!

昨日、大学時代にゼミでお世話になった恩師と、ゼミに入りたての3年生の後輩達が飲み会に呼んでくれて、参加してきました。
3年生は一部を除いてほぼ関わりがなかったけれど、いろいろお話ができてとっても楽しかったです。すっごい場違いな気もしたけど暖かく迎え入れてくれていい子たちであった……

そんな彼ら彼女らと話していて思ったのは、結局みんな同じようなことで悩むのだな、ということ。
私も大学3年生の頃、院に行くべきか、就活すべきか、そもそも自分は何がしたいのか、何が向いてるのかとっても悩んでたし、それをちゃんと定めて走り出してる友達を見て焦ったりしてたな、と懐かしく微笑ましく思い出しました。(当人たちは必死だと思いますが……)
そんな3年生たちに会社で扱ってるものの話(わりとニッチ)とか、働き出してからどうかとか、自分が3年生の頃どういう風に考えてたかとか、そういう話をしました。ちょっと説教くさくなっちゃったかもしれぬ。老害だな。笑

私も院に行くかは迷いました。
でも先輩にいろいろ話を聞いたところ、どうしても院でなかなかニッチな勉強をしてると、「どうしてその道の専門職にならないの?」とか「専門職採用してるところもあると思うけどなんで総合職なの?」とか就活で聞かれるらしかった。私はそれに明確に答えられる気がしなかったし、「まあ時間もお金もかけたしやっぱり専門職に……」っていうのも、なんとなく流されてるようで。専門職になることはかっこいいし、いつかなることを考えてないわけじゃないせど、そういうなりかたは嫌だった。もちろん流されて面白いところに行き着くこともあるから全然いいと思うけど。とにかく私はそういうなりかたはしたくなかったし、もっともっと、いろんなことをやってみたかった。
ので、院には進まず就職しました。

「就職してよかったですか?院に行った方がいいと思いますか?」って聞かれたけど、正直まだ私もどっちの選択が正しいかなんてわからないです。5年、10年くらい経たないとわからないかも。それに私の選択がみんなにとっても最適の選択かなんてわかんないしね。結局いろんな人の話を聞きながら自分で考えていくしかないんだなぁと思います。

とりあえず今、働いてて楽しいです。

小さい会社だし、給料安くてびっくりしちゃうし、適当すぎる人もいたりいろいろあるけど、でもいい雰囲気の会社で、好きなことに携わって生きている。勉強してきたことがどういうふうにお金を生み出し、世の中の役に立つのかということがよく見える。文句ばっかり言ってるけど、総合的に見れば今は超幸せです。

それに、私は働き始めてからやりたいこととかこういうふうにキャリアを積もう、というのが見えてきた。
そういうのって普通に大学生やってても、意識の高い一部の層以外はよくわかんないんじゃないかな、と思う。日本だと。キャリア教育遅れてるって言うしね。
キャリアは「積む」もんなんですよね。いい会社に入ったらそこで上がり、じゃなくて、勉強したり工夫したりして、自分の価値を常に高めていかないといけない。
どこに入ったとしてもがんばって結果出して、うまくアピールすればいいだけ。
って単純すぎるのかな?おめでたい考え方かもしれないですね。まだ社会人3ヶ月目だしね。笑

とにかく、社会人になってからもっと考え方が柔軟になった気がします。将来の選択肢は二者択一とかじゃないんだってことがわかるようになりました。

いろんな点をぽちぽち打ってたら、結構上手くつながるかもよ。



ブログを続けていくことについて

結局更新に間があいちゃってますね。えへへ。

気付いたら7月4日だって。アメリカ独立記念日じゃん。

ジャパンは非常にホットになっちゃってクーラーがなかったらやってられない気候になってしまいましたね。夏来るの早くないか?梅雨もまともに来てないじゃないか。

水不足にならないといいね。

 

最近会社でちょっと大きなイベントが終わって一段落したのでまたちょっとずつ書いていきます。

でもね、「毎日書かなきゃ……」とか「書けてない自分ダメじゃん……」という思いからは解放されました。

 

ここ最近いろいろな人と会っていたのですが、大学時代お世話になった恩師とお会いする機会があり。

先生は10年以上、ご専門にも関係があるようなブログを書いていらっしゃるのですが、結局楽しんで、書けるときに書かないと続かないということをおっしゃっていました。

でもそのとおりだよね。

無理やり更新してつまんない記事を量産しても意味がない。この辺はブロガーさんによって意見も分かれるし、いわゆるそれでご飯を食べているような売れっ子さんは「とりあえず書け!」とおっしゃる方も多いようにお見受けするけれど、まずは書くことを楽しまなきゃいかんなぁ。義務感とかじゃなくてね。

売れっ子ブロガーさんはやっぱり発信する中身をもっていて、とても面白い記事が多いのは事実だけど、彼らはそれで生計を立ててるんだもんな。書き続けることはほぼ義務ですよね。その分一つの記事に対する労力のかけ方が違うんでしょうな。

 

(とはいえ最近、いわゆる人気ブロガーの方が書いたすっごいつまんない記事を読んで、「結局人気商売だから売れた後は何書いても信者がついてくるんだろうなぁ」ということも思ったりしました。そういうとこあるよなぁ。もちろん競争の激しいレッドオーシャンなんだろうしあまりゴミみたいな記事を書き続けたら読者が離れちゃうんだろうが、とりあえずいったん売れて以降は発信した者勝ちというか。)

 

私は売れっ子ブロガーとか目指すのはやめました。

始めた当初はね、それは夢が膨らみますから正直そんなことを考えなくもないわけですよ。ブログでご飯食べていけたら会社行かなくていいなぁとかね。でも売れることを念頭に置くと楽しく書けないよね。

とりあえず私は書くことを楽しんでいきたいし、書けるときに書くことにする。

中身あること書かなきゃ、とかも思わない。思ったこと・書きたいことを書く。

くだらなくてもそれを「くっだらねぇな」と思いながら読んでくれる人がいたらそれでいいや。あまりにもくだらないと誰にも読まれなくなっちゃうけど。

 

さて今日も会社に行かねば。

 

 

最近全然頑張れてない、という話

ブログ毎日書くって本当に大変なんですねぇ。

慣れてないせいもありますが、毎日1000字くらいの分量を書き続けるのは、簡単ではありません。だから実際できてないしね!
書いて、推敲して、また推敲して、悩んで、うーんうーん……
この繰り返し。
文章を書く仕事をしている人は本当にすごいと思います。でもそういう人はそれでお金稼いでて、締め切りがあるから頑張れるんだろうか?まあでも書かずにいられないような人じゃなかったら、そんな仕事に就かないか……
自分にも毎日締め切りを設定して、下書きにいっぱい溜まってる書きかけの記事をいついつまでに仕上げる、というふうにして、書けたら100円ずつ貯めるようにしたら、なんか原稿料もらってるような気分になって頑張れるだろうか?
まーでも、自分で締め切り設定しても強制力が弱すぎるし……
とにかく、できれば毎日更新したいなぁとは思い続けています。実行しなければ意味がないのだけど。

英語の勉強も、イマイチ頑張れてません。
とりあえず英検は単語力が圧倒的に足りない。わからない単語がわかるようにならなければ、大問1もできないままだし、読解もそこで足元をすくわれて点数落としてしまう。だからやらなきゃいけないのだけれど。
みなさん大学受験の時とか、どうやって英単語勉強してたのでしょうか……ひたすら読むとか書くとかそういう道しかないんですかね……
Podcastも今通信制限に引っかかってるので気軽にダウンロードできずあんまり聴いてなかったり。

やっぱり継続するには気持ちとかモチベーションも大事だけど、同じくらい仕組み化・ルーティン化も必要なんだなぁと身にしみて感じているところであります。
私のような初心者はまず書き続けるのが大事かもしれないので、できる範囲で少しずつ少しずつやっていきたいと思います。
勉強はもうちょっと頑張ります……。

今日から英検一級の勉強を始めます。

3日も更新をサボってしまった。

書きたいことは山のようにあるけれど、週末は外に出て遊んでいたいタイプのえへへでございます。
とくにお天気がいいとね……家に一日中いるのはあまり好きじゃないです。
というわけで、通勤電車の中でぽちぽち書き続けます。


英検一級の勉強を始めます!

はい、タイトルの通りです。
秘書検定受けてから一週間経つのでそろそろ勉強を始めなければと思い、とりあえず土曜の朝、洗濯をしてる間にリーディングパートをやってみました。(洗濯が終わっちゃったので大問2の最後の4問やってないけど)

今朝答え合わせをしてみたところ、
大問1 10/25
大問2 1ミス
大問3 1ミス(ただし最後の4問は解いていない)
という感じでした。

読解は凡ミスって感じなので問題を繰り返し解いて精度を高めていけばよいかな、という感じでした。が、しかし、単語が壊滅的にできてない……!
いろいろブログとかを見てると語彙に関してはこれでもどうやらマシな方みたいですが、とりあえず語彙を増やすことが自分にとって課題だと思ってるので、(TOEIC受けたとき語彙レベルだけ著しく低い的な結果だった)
まずは語彙に手をつけることにします。

ライディングも大事だけどまだやれてない。これも怖気付かずやらなければ……
傾向が変わって自分でしっかりと意見を組み立てなければいけない部分が増えたので、日々ニュースとかチェックしないといけないですね。


試験は10/9なので、まずは7月中にリーディングパートを集中的にやって、8〜9月頃はライティングの練習ができればいいな、と考えております。リスニングは9月になったらちょっとやってみよう。語彙はもう、ここから3ヶ月ずーっと継続的にやってくしかない……

これ以上参考書出費が増えると大変なので、とりあえず自分の家にある単語帳からわからない単語をひたすら抜き出して覚える感じにしていきます。

リーディングはニュースを読んでパラグラフごとにひとこと要約とかしてれば読めるようになってくるかなぁ。

うまくいかなかったらやり方を適宜修正するのはもちろんなのですが、まずはこのような計画でやってみます。


さー今日も会社だー(白目)

『貧困報道を「トンデモ解釈」する困った人たち』という記事を読んだ


貧困報道における「かわいそうバイアスの限界」。これを書いたルポライターの鈴木大介 さんは『「犯罪する側の論理」「犯罪現場の貧困問題」をテーマに、裏社会や触法少年少女ら の生きる現場を中心とした取材活動 を続けるルポライター』だそうです。(検索結果 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準)

この記事の内容をとてもざっくりとまとめると、
結局貧困の現実っていうのはかわいそうとかそんな綺麗な世界ではない。それでも知ってもらうことがまず大切だから、多少「かわいそうバイアス」をかけて書いたりもする。しかし、読者からくる反応は「日本に貧困など存在しない」「努力が足りない」「アフリカや戦中の暮らしの方が苦しい(苦しかった)」「防犯に役立てます」とか的外れなことばっかり。日本には実は「格差社会」なんかではなく「階級社会」で、ある一定以上の階級の人の想像力では、日本に貧困が存在すること自体想像できない。そういう人にいくら貧困があるということを伝えようとしても伝わらなかったり、もしくはそこに手を差し伸べようとするのではなく、持たざる人からどうやって持っているものを奪われずに守るか、という方向にしか発想がいかない。

では本当に、どうすれば……。結局、無能な僕には答えが出ないから、無力感や徒労感にさいなまれつつも代わり映えのしない「かわいそうバイアス」という芸風で記事を描き続けている。今もって「どう報道すべきか」に答えは出ないが、この問題は「こうあるべきです」と正解を提示するのはジャーナリストの先生様のお仕事で、僕は多くの人に論考してもらい、思索を深めていくことのほうが大事にも感じているからだ。
記事の終盤、鈴木さんはこうおっしゃっています。

私もどう報道したらいいかとかそういったことはわからないけれど、思うことがあるから書いてみる。

この間家に帰って夜のニュースを見ていたときに、奨学金返済で生活が苦しい若者の特集が放送されていました。
それをうちの祖父が見ながら「こんなのもいるんだなぁ」とヘラヘラ笑ってた。
いや、それ、おたくの孫ももらってる奨学金だからね……?
私は報道されてる人たちと比べればずーっと楽なんだけど、毎月お金を返す辛さはなんとなくわかる。それが何十年も続く。貯金できる額なんてほんとに雀の涙レベルだし、将来に希望なんて持てるわけがない。まあ、もっと切り詰めて暮らすこともできるんですが、全てを切り詰めていって、楽しみがなくなったら生きているのがいよいよ辛くなってしまう。

でも経験していない人がいくらそういったものを見聞きして触れても、「へぇ」くらいにしか思わない。問題意識なんて持つわけがない。
鈴木さんのやるせなさは、このときの私が抱いたやるせなさのウン十倍、ウン百倍なんだろうなぁと思う。

人間はやっぱり経験したこと以外想像ができないし、共感もできない。それは自分もそう。友達の苦しみにさえ、正直全く共感できないこともある。
「今時の子は想像力がない!共感力がない!」とかいう人たちもいますけど、その人たちだって若い世代の気持ちなんてまったくわからないだろうし想像も共感もできてないじゃん。
人間はそういう風にできてるんだと思いますよ。もしあらゆることをあまりに豊かに想像したり共感したりしたら、疲れてボロボロになってしまう。心が壊れてしまう。世の中は辛いことだらけだから。貧困、暴力、不治の病、戦争、殺戮……

じゃあまったく想像も共感もしなくていいのかというと、そうではない。人間は経験したことがないことは想像も共感もできない生き物だからこそ、ジャーナリズムや学問や芸術がある。
ジャーナリズムは、自分が想像したことのない現実を見せつける。見えていなかったけれどそこにある現実を掘り起こす。無関心な人の目には映らないかもしれないが、少数の鋭い目にはそれが映る。
学問は、それがどうしてそういう風になっているのかという「しくみ」を提示する。感情として当事者に寄り添うことは難しくても、それがどうして起こっていて、なぜなくならならないかが「理解」できれば、「想像」「共感」に少し近づく。
映画や文学、絵画などの芸術は、感情を揺さぶる。ときに当事者の感情を生々しく描き出し、ときに寓話的に現実の不条理を語る。それは理論とか理性を飛び越えたところで心に刺さる。
こういったものに触れることではじめて、人は想像や共感に近づくんじゃないかと思う。

だから、結局はいろんな人がいろんな角度から問題を考えていって、それをいろいろな形で解釈したり表現したりして、またさらにそれを他のたくさんの人たちが見て考えていく、っていう繰り返しがないといけないんだろうなぁと。
たしかにジャーナリズムの力ってそんなに大きくないのかもしれない。でも、発信しなければ誰も知らないままだ。行動するレベルではなかったとしても、知っているか知らないかだけでも全然違う。知っている人が増えれば世の中はちょっとずつ変わっていくと思う。

朝からそんなことを考えてました。

まあ、無知や無理解で人を傷つけてきたことはたくさんあるので、まずは私ももっと近くの人たちの気持ちを考えられるようにならないといけないけどね……。

10歳くらいのときに死にたかった話

 誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。尤もつとも僕の自殺する動機は特に君に伝へずとも善いい。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知つてゐない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであらう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。従つて僕は君を咎とがめない。……(芥川龍之介 或旧友へ送る手記)

一見理由なく自殺してしまう人は、実はみんな芥川が言うように「将来に対する唯ぼんやりした不安」で死ぬことを選んでるんじゃないかと思います。

かくいう私にもぼんやりと不安で死にたい時期があった。10、11歳くらいのとき。
今思えば厨二病的なものだったのかもしれないけど、そのときは本当に毎日死にたいと思ってました。

毎日同じ生活。学校では毎日同じような授業をし、友達は毎日同じ話題を繰り返し、同じように日々が過ぎる。面白いことなんて何もない。こんなことがあと何年続くんだろう。学校にはまだあと6年、いや10年くらい行かないといけない。そのあとは働く。働いたらきっと今よりもっとつまらなくなる。「小学生、楽しそうでいいね」なんて大人はいう。たしかに大人はみんな毎日あくせく働いて大変そうだ。じゃあ人生で楽しい時期のはずの今、こんなに人生がつまらない私はどうなるの?これから先、生きてて楽しいことなんてあるの?生きてる意味はあるの?私のことをわかってくれる人なんているの?

毎日こんなことを考えてました。ほんとに。変に心配をかけてめんどくさいことになるのは嫌だし、そのときは多分誰にも相談しなかったと思う。それに、周りの人を悲しませたりするのも痛いのも苦しいのも嫌なので、自殺未遂とかはしたことありません。
でもつまらない世界から逃げたいってずっと思ってた。

そこで誰かに言いたい、同じような年で同じ気持ちの人を探したい、と思ってインターネットを徘徊しだして、世の中は広くていろいろな人がいることを知りました。他にも、塾に行きだして勉強が楽しくなったりしたこともあり、11歳の半ばくらいには死にたいとは思わなくなりました。塾に行って中学受験をしたい、と言ったのも、同じことの繰り返しの世界から、何もかも全然違う世界に逃げたかったからかもしれません。

私が何かを頑張るときや何かをやってみるときの原動力は、基本的に「逃げたい」「抜け出したい」という気持ちです。ずっと同じのつまらない世界から抜け出したくて勉強してる、っていうのは、11歳のときも今も変わらない。
そのとき逃げる努力をしたおかげで今がある。広い世界を見る前に死ななくてよかったと、今は本当に心から思います


死にたい気持ちを克服しだした頃に、ぼんやりと「こういう大人になりたい」と思っていた姿があります。「今の自分とはかけ離れてる」とそのときは思ってたけど、10年余り経った今、結構その望んだ姿になれていると私は思います。
たとえば、「英語をしゃべれるようになる」。別にペラペラとかではありませんが、人の言ってることがだいたいちゃんとわかり、最低限自分の言いたいことが言えるようにはなっています。
はっきりしたものでなくても、「なりたい姿」を思い浮かべることって本当に大切なんだなぁと思います。

「将来に対する唯ぼんやりした不安」を持ってる人はこういうなりたい姿を思い浮かべることさえ難しいのかもしれない。
でも、少しでもこうなりたいという姿があるなら、それを忘れないで、毎日惰性でも生きててほしいと思います。望んだ姿になるのは無理だと今思ったとしても、10年後にはわからない。具体的な努力を今すぐに始めなくても、小さな希望を持ってるだけで、少しずつ少しずつ、行動はなりたい姿に引き寄せられてくんじゃないかなぁ、と思います。

今の私の状況も、決してベストな状況ではない。悪くはないけど、すごく抜け出したいと思ってて、だからほんとに少しずつだけど頑張れてる。
そして何より今はなりたい姿があって、そのお手本になってくれる人生の先輩が周りにたくさんいます。

最近いろいろ疲れてきたけれど、そんなことを思い出して、もっともっと頑張ろーっ、と思い直したのでした。

大切なのは逃げることと、ぼんやりとでもなりたい姿を持ち続けること。