フロリダの事件をとおして考えたこと
先日フロリダでひどい銃乱射事件が起きましたね。
犠牲になった方のご冥福を、心からお祈りしております。
無知なりにいろいろなことを考えたので、この事件について何か書きたいと思いました。
ちょっとデリケートすぎる話題なので書くかどうか迷いましたが、事件それ自体というよりは、このことを通して経験したことについて書いてみます。
最近この事件とは全然別で、友達とLGBTについて話す機会がありました。きっかけはなんだったか忘れちゃいましたが。
意見が食い違うことがあって、大激論になりました。
そのとき話していたのは、「性的指向は生まれつきのものなのか、それとも人生のどこかの段階で自覚し、選択するものなのか」というような話でした。
私は性的指向はある程度生まれつきのものだと思ってました。ヘテロセクシャルの私が男性にしか恋心を抱かないのと同じように。そういう風に生まれた、それだけ。気づいたらそうだった。
それに対して友人の意見は、
性的指向は「生まれつき」である、という考え方は、性的指向に関連する遺伝子だとか何らかの生物学的要因があるということを示唆するのではないか。出生前診断でLGBTの可能性のある子供を堕胎する親が出てきたり、差別につながる考え方ではないか。
それに、思春期以降や、大人になってから自分がLGBTであることを自覚した人たちは「生まれつき」だと断定できないのではないか。社会的な要因もあったりすると思うので、それを「選びとっている」というふうには言えないのか。その選択を尊重するべきではないのか。
というようなことを言ってました。
両方とも当事者ではないうえ、LGBTの知り合いもほとんどいないので、的外れな議論だったかもしれません。二者択一で簡単に語れることでもないのもわかっています。人によっても違うでしょう。
とにかく、無知な私たちはその時点で自分が知っていること、経験したことをベースに、意見を言い合いました。
わからないことが出てきたらググってみたりもしつつ、半ばけんか腰で、歩きながら話し続ける私たち。
結局その日は決着がつかず、お互いに「君の意見は理解するけど、賛成はしない」という状態で別れました。
賛成はできなかったけれど、自分が思いもしなかったような意見を友達が言っていて、「確かにそういう考え方もあるかもしれない」と驚きつつ、面白いとも思いました。
そんな矢先、フロリダの事件が起きました。
事件の惨状を伝える記事のほかに、LGBTコミュニティの反応もたくさん記事になりました。
例の友達が、この記事を紹介してくれました。
記事のタイトルをちょっとそれっぽく訳すと、「フロリダ銃撃事件:言葉は選べるが、性的指向は選べないということを学んだフランソワ・オランド大統領」という感じになるでしょうか。
友達は、「もしかしたら自分の考え方が間違ってたのかもしれないや」と言って、これを見せてくれました。
身近なところにゲイの友達や知り合いがいない私たちは、想像で話すしかなかった。だから、お互いに間違ったことを言っていたかもしれません。それにこの記事と違って、自分はゲイであることを「選択」した、という人も、もしかしたらいるのかもしれません。
でも、意見を闘わせたり、改めて考えたり調べたりしたことで、自分の考え方や視野をもっと広くできたと感じました。正直こんなことがなければ、身近ではないLGBTという存在についてそこまで真面目に考えることはなかったかもしれません。
そして、仲のいい友達でも全然違う意見を持っていて、それは普通のおしゃべりの中では気づかないものだということもわかりました。
こういう難しい話題について考えることはあっても、誰かと話すことは避ける人が多い気がします。または、話してみても同意されるだけで話し合いにはならなかったり。
でももし、思ってることがあるならば、たとえそれが多少間違っていたり甘すぎる考え方でも、話してみることがすごく大事だと私は思うのです。
もしかしたらめっためたに言われるかもしれないし、この記事だってボッコボコに叩かれるかもしれません。
それでも話し合うこと、考えることをやめちゃいけない。そうしないと考え方や見方は広がっていかないし、話し合うことを避けていたら、デリケートな問題に対する理解は進んでいかない。
こういうちょっと難しい話を、勇気を持っていろんな人としていけたらいいなぁ、と私は思っています。
そしてボコボコに殴られながら、考え方を大きくしていきたいです。